1Q84
まだ途中だけど、これなんておやすみプンプン。
え、どういうこと、と調べたら、おやすみプンプンの連載開始の方が先だな。
村上春樹はスピリッツ読むんだろうか…読まないだろうな。
ということはあの年代になんかこういうことを描きたくなる時代性があったのだろうか。
オウム事件が起こった時は本当に終末感があったものだ。
そこから作品に昇華するには、15年程度必要だったということか。
おやすみプンプンはもっと評価されていいんじゃなかろうか。
1Q84よりもよっぽど現代的で、よっぽどリアル。
村上春樹にはやっぱりどこか甘えがあるように思ってしまう。
あのおしゃれな文体と舞台装置、それに完璧な人物像がいけないんだと思う。
ファンタジーとして読めばいいんだろうが、そうするとやはり共感性が減ってしまう。
ドラえもん
ドラえもんの映画みた。
はじめの方、のび太とドラえもんが2人でかき氷を食べ、氷の遊園地を作り、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんを呼びに行くところで不覚にも涙が。
ドラえもんとは友情の物語なんだなあと。
今現在友達がいなくて孤独だったとしても、未来からドラえもんが来てくれるかもしれない。
そしたらもう彼は1人じゃない。
藤子不二雄(あえてコンビ名で)の優しさ。
映画全体としたら、子供の時に見たドラえもん映画のようなカタルシスは減ったような気がした。
あの頃は、冒険が終わり、のび太が家に帰ったときには本当にホッとしたものだ。
それはあのとき私が子どもだったからだろうか。
今回はなんか、帰ろうと思ったら帰れるやん、とどうしても思ってしまった。
私が大人になってしまったからか。
いろいろ最近
歯医者の予約を忘れた。
なんで覚えられないのか。
歯医者の方の風当たりが強くなってきて辛い。
本屋で騎士団長殺しが売っていたので、とりあえず家にあった1Q84を読む。
スーパーでは紙袋には入れてくれないし、大体の人はあんな知的なまわりくどい話し方はしない。
大体の人はそんなセンスのいい完璧な服は着ていない。
だからあれはジブリとかと同じでファンタジー。
ちょっとちゃんとした生活をしたくなる効果あり。
Mステのオザケンを見て衝撃を受ける。
あんなおっさんになるとは…なんとなくオザケンて年取らない部類の人かと思っていた。
しかし昔のオザケンはほんとにかっこいいなぁ。
サブカルの王子だわ。
元ホスト感がすごい。
なんか痛々しくなるんだよな〜
ジャルジャルの自由さは宝だ。
あの苦労してない感がいいわ。
笑いのカイブツ読んでからオードリー見るとなんか感慨深い。
できれば南
僕を抱えて吹き飛ばしてよ
できれば南の方へ
ってすごいいい歌詞だな。
どうなってもいいしどうとでもなる
破滅願望と楽観。
その背景にある焦燥。
本
こんな人がこっそりきっと何人もいて地球は回っている。
それらの人みんなに平等に、テレビやゲームやレンタル屋や図書館やyoutubeがあり、それぞれに希望を与えている。
そう考えたら芸人やミュージシャンや作家は、世のエンターテイメントは、現代の神じゃないのか?
オウム信者の人たちの生きにくさとそれを救う宗教。
死にたい夜を泥みたいな思いで乗り越える人たちの弱さにつけ込んでお金をとったり犯罪をさせたりするんだったら、ほとんど付け込まない平等に降り注いでくれるエンターテイメントはなんて優しい神なのか。
だから時々読んだ本なんかにあっち側の、ツチヤタカユキ曰くぬくぬくと苦労もしてない奴らめ、ってな匂いを感じた時に腹が立つのはわかる。
別にいたずらに苦労してなくったって、ちゃんとエンターテイメントになってたらいい。
それに徹してたら。
甘いのが1番嫌。
最近では西加奈子の小説にその気持ち悪さをすごい感じた。
かないくん、にも感じた。
腹が立った。
そんなことを考えたり。